1995年10月9日
新日本プロレスとUWFファン、いやプロレスファンなら今でも語り合うジュッテンキュウ。
当時を思い出すと私は15歳の新日本プロレスファンの少年で、同級生には数多くの新日本プロレスファンがいました。
もちろんUWFファンも沢山いたので、この対抗戦が決まってからは学校内で新日本プロレスファンとUWFファンが喧嘩をすること多々・・・今思い返すと考えられないぐらい熱い時代でした。
新日本プロレス最強説、UWF最強説。
それぞれを抱えたファン同士も戦っていたわけです。
石沢常光、永田裕志と金原弘光、桜庭和志の試合は殺伐としており、殺気が立ち上っていました。
そして大谷と山本、飯塚と高山と続いていくわけですが飯塚に関しては「勝つのは当たり前としてどう勝つか」ぐらいの発言をしていたのにあっさり負けたので新日本プロレスファンからの批判が大きかったですね・・・
長州力の恐ろしさに震え、佐々木健介の敗北に驚き、橋本真也の強さに興奮し、、、そして武藤敬司が高田延彦をドラゴンスクリューからの足四の字で倒すという意外性に頭の中が真っ白になるほど驚きました。
さて、この大会の中で異色だったのがライガーと佐野の試合でした。
テーマである新日本プロレスとUWFの戦いではなくジュニア戦士の戦いという感じでしたし、佐野が場外に飛んだ瞬間から「この二人は個々の戦いをしている」と感じた記憶が今でも残っています。
かと言って同窓会的な緩さがあるわけではなく殺気も感じるというあまり感じたことがない試合でした。
ライガーは「佐野さんがいたから自分がいる」と最大限のリスペクトを常にしていますが、過去には「UWFでのプロレス人生は偽りだと思う。試合には負けたが、あの人のプロレス人生には勝てたんじゃないか」という発言もしています。
佐野が新日本プロレスを退団するときには何度も佐野の家に訪問して引き止めたように、ライガーの理想の佐野は新日本プロレスの仲間としてライバルとして戦い続けていたかったんだろうなぁ・・・と。
そんな佐野が新日本プロレスに戻ってくるのが1月4日・5日の東京ドーム大会。
ライガーの相手として、そして仲間として途切れた時間と歴史を繋ぐためにリングに上がります。
新日本プロレスの最高のジュニア戦士だった2人が組み、現在のジュニア戦士の最高峰である高橋ヒロム・リュウリーと戦うわけですがこれが橋渡しやバトンタッチのような試合なら必要ありません。
とっくに渡したバトンを引退試合で奪い返すぐらいの試合をライガーはしてくれるはずですし、佐野もただ衰えた姿を見せて終わりなんてことにはならないでしょう。
近年新日本プロレスファンになった人には興味がない佐野選手かもしれませんが、この試合後に再度ライガーと佐野の歴史を振り返るような人が増えることを祈っています。
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