タイトルは無い

1997年。
自分が17歳の時のこと。
学校というのものがバカバカしい場に思えて
自宅に引きこもっていた時だった。

神戸市の中学校の校門に
切断された男児の頭部が置いてあり
大きく切られた口の中には
酒鬼薔薇聖斗という名前の殺人鬼からの
声明文が入れられていた。

その後も、恐ろしい犯行声明が届けられ
日本中は模倣犯の出現などへの恐怖も含めて
ある種のパニック状態になっていた。

この衝撃的な事件は当時17歳の自分の心に
記憶としてハッキリ残っている。
それは、もしかしたら逮捕された犯人が
まだ14歳という自分と近い世代だったことも
大きな理由の1つだと思う。

そして少年法についても大きな議論が叫ばれた。

そんな声が小さくなってきたころ
少し彼の記憶が世間から消えたころに
彼の出所という噂や報道などが世に出て来て
そして「今は名古屋にいる」「いや、横浜にいる」など
噂は常にネット上に溢れており、
また猟奇殺人が起こったり、小動物が殺されるようなことが
報道されるとネット上には「酒鬼薔薇聖斗では・・・」と
書き込みがあるように、常に彼は1つの恐怖の象徴として
多くの日本人の心の中に住み着いてしまっていた。

そんな彼が2015年6月に出版した「絶歌」という本。

被害者家族が出版の差し止めを求めたり
ネットでは購入者を攻撃するというようなことが起こっているが
まず正直に書くと、自分はこれを読んだ。

1つ、ここで正しておかないといけないことがある。
印税というのは出版されて発行された時点で入るので
ネットで多くの人が言っているように「買うと印税が入る」のではない。

本屋Aで今日10冊売れたから、書いた人間にいくら入るなんて
仕組みではありません。
増刷するということになれば自分も反対意見を出しますが
出ているものはもうしょうがないと考えるしかないのです。

なので、まず現時点でAmazonレビューに怒りを書いている人や
この本を読んだ人を攻撃している人は、できれば日本政府に対して
『サムの息子法』を日本でも作るような声をぜひあげて欲しいです。

(※犯罪者が自らの事件の暴露で得た収入は被害者救済にあてなければならない)

さて、この少年Aが手記した「絶歌」という本ですが・・・
まず少年Aとは呼びたくないなと感じました。

自分の中でも、この本を読んだ結果としても
彼が昔神戸新聞社に送りつけた手紙の一文である
『嘘偽りないボクの本名である』の通り、
『酒鬼薔薇聖斗』と呼ぶべきだと。

凶悪犯罪者である酒鬼薔薇聖斗が
自己陶酔をしている様を見れる紙。

そんな印象を受けました。

本人が書いたのか編集者がかなり弄ったのか
それはわかりませんが、内容を読めば読むほど
本質は酒鬼薔薇聖斗のままなのではないかと。

それは表面的には隠していますが
言葉の裏側にあるドロドロとした物を感じることも1つですし
過去を振り返って興奮をしているように感じました。

彼が勃起して書いている姿がイメージできますし
これが話題になり、また興奮している姿も想像できます。

感想はそれぞれが持つことなので
当然これは自分だけの感想ではありますが
酒鬼薔薇聖斗が過去に書いた犯行声明文と
今回の文章に似ている物を感じたことに恐怖を感じました。

ある種、新しい声明文にも見えるというのが
素直な感想です。

酒鬼薔薇聖斗が、神戸新聞社に送った声明文を
ここで紹介してみたいと思います。


この前ボクが出ている時にたまたま、テレビがついており
それを見ていたところ、報道人がボクの名を読み違えて
「鬼薔薇」(オニバラ)と言っているのを聞いた。
人の名を読み違えるなどこの上なく愚弄な行為である。
表の紙に書いた文字は、暗号でも、謎かけでも当て字でもない。
嘘偽りないボクの本名である。ボクが存在した瞬間からその名がついており、
りたいこともちゃんと決まっていた。
しかし悲しいことにぼくには国籍がない。
今までに自分の名で人から呼ばれたこともない。
もしボクが生まれた時からボクのままであれば、
わざわざ切断した頭部を中学校の
正門に放置するなどという行動はとらないであろう。
やろうと思えば誰にも気づかれずに
ひっそりと殺人を楽しむ事もできたのである。
ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、
今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを
せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として
認めて頂きたいのである。
それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と
義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない。
だが単に復讐するだけなら
今まで背負っていた重荷を下ろすだけで、何も得ることができない。
そこでぼくは、世界でただ一人ぼくと同じ
透明な存在である友人に相談してみたのである。
すると彼は、
「みじめでなく価値ある復讐をしたいのであれば、
君の趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて
復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えていけばいいのですよ
そうすれば得るものも失うものもなく、
それ以上でもなければそれ以下でもない
君だけの新しい世界を作っていけると思いますよ。」
その言葉につき動かされるようにしてボクは今回の殺人ゲームを開始した。
しかし今となっても何故ボクが殺しが好きなのかは分からない。
持って生まれた自然のとしか言いようがないのである。
殺しをしている時だけは日頃の憎悪から解放され、安らぎを得る事ができる。
人の痛みのみが、ボクの痛みを和らげる事ができるのである。


本で書いている内容と犯行声明文の内容は
当然違うが、表現というのが似ている。

同じ人間が書いているので似ていて当然だが
それでも当時は14歳、今の酒鬼薔薇聖斗は32歳。

ここに感じる変化はあまりない。
あるとすれば、それは頭が良くなったことで
上手く牙を隠せるようになっているだけでは?と。

さて、先ほどの神戸新聞社への手紙には続きがある。


この紙に書いた文でおおよそ理解して頂けたとは思うが
ボクは自分自身の存在に対して人並み以上の執着心を持っている。

よって自分の名が読み違えられたり、自分の存在が汚される事には我慢ならないのである。
今現在の警察の動きをうかがうと、どう見ても内心では面倒臭がっているのに
わざとらしくそれを誤魔化しているようにしか思えないのである。

ボクの存在をもみ消そうとしているのではないのかね
ボクはこのゲームに命をかけている。

捕まればおそらく吊るされるであろう。
だから警察も命をかけろとまでは言わないが、
もっと怒りと執念を持ってぼくを追跡したまえ。

今後一度でもボクの名を読み違えたり、
またしらけさせるような事があれば
一週間に三つの野菜を壊します。

ボクが子供しか殺せない幼稚な犯罪者と思ったら大間違いである


この言葉。
例えば「警察」の部分を「世間」と置き換えるなどして
そのまま「後書き」に入れても不思議ではないような
酒鬼薔薇聖斗のままの匂いをまだ持っていると感じた。

そして、これは当時もニュースで報道されたり
心理学者なども色々なことを言っていたが
この手紙の最後には、このような一文があった。

『ボクには一人の人間を二度殺す能力が備わっている』

この言葉を思い出した時に、ゾッとした。

まさに、この絶歌という本は
酒鬼薔薇聖斗がもう一度頭の中で過去の記憶を
最初から進めていき、殺人をもう一度犯したように
自分は感じてしまったのです。

そして、この本が世に出たということは
今刑務所にいる人間や、これから犯罪を起こす人間も
しっかりと認識にしていることでしょう。

これは、ただの毒。

でも、それを薬にすることができるのであれば
日本での法律として、犯罪者が後にそれを商品にして
ビジネスとすることを禁ずるような動きを作ることでしょう。

そうなるまでは、この絶歌という紙は猛毒です。

最後に、

自分はこの酒鬼薔薇聖斗という人間と
会うことも話すことも恐らく無いはずです。

でも、もし一言だけ言えるのであれば

「ボクは自分自身の存在に対して
人並み以上の執着心を持っている。
よって自分の名が読み違えられたり、
自分の存在が汚される事には我慢ならないのである。」

なんてことを言っていたこの酒鬼薔薇聖斗に

『それなら本名で出版しろ。今の姿を見せろ。
自分に対して人並み以上の執着心があるなら
そうしないと筋が通らねぇだろ。』

って言いたいですよ。

自分自身を感じて生きていたい人間は
匿名なんてしないんだよ。

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