【100】と【0】

それを口に出したら人として終わり。
そう感じる人が増えてきているなと感じることが多々ある。

特に目に余るのはサブカル好きにウケそうな知識人達の逆張りビジネスとそれに影響を受けている読者等々。

某氏は「コロナは安全な風邪程度のものなのに老人を殺してくれるありがたいウイルスだ」と平然と言う。
この時点でもう志村けんのファンの私からすれば許せないわけだが...仮に思っていてもそれを言わないのが人間ではないか?と。
まぁ20年前に若者のカリスマとなった快感が忘れられずに、逆張りして経済的弱者が多い若者の人気を得たい程度の思考回路なのだろうが、まずは己が安全なコロナウイルスでも貪り食ってから物を言えとしか言いようがない。

世界中で国が、アスリートが、アーティストが、メディアが、身の回りの仲間や家族が自粛を呼びかける中、その上から【自粛なんて意味がないぞバカ者】と言うのは気持ちが良いのかもしれない。
何か自分が特別な存在になったかのように思うのだろう、VRの世界で妄想にふけることと変わりはしないことに気がついていないような状態なのではないだろうか。

ただ、考え方というのは人それぞれ自由ということは大前提。

なので「自粛を辞めて老人や基礎疾患持ちは死ね」という発想はそれはそれでとやかく言うことではないのだが、これらの人はそもそも自分をアップデートできていないのでなぜか「老人だけが死ぬちょっとした風邪」という認識で思考が停止したままのが厄介なのである。

生まれたばかりの赤ん坊も死んでいるし、若者も死んでいる。
まぁそれでも「自分が自由ならそれでいい」と思うこともその人の権利ではあるが、流石に今の世界を見渡してみてその考えで誰かと繋がりを持ち共存をし笑い合う権利というのは放棄しているとしか言えない。

受け入れてくれるのはブラジルぐらいではないだろうか?
まぁマフィアですら「今は自粛をするべきだ、みんなで頑張ろう」と言って回るぐらいなわけだから、ブラジルでも場所によるのかもしれないが(苦笑)

さて、そもそも気に入らないのはコロナウイルスの存在を思想のアイテムにしている人が多いということなんだ。

コロナの球に思想を塗り込んで衣揚げにして勝手にコロナゲットとかコロナッケとかを作って「これが美味い」と嬉しそうに食べる。
B級グルメならぬV級グルメを楽しむかの如くしている輩の多いこと。

そもそも問題として、今の日本人は100対0の思考になりすぎているんだよ。
プロレスファンでも例えばストロングスタイルと呼ばれるプロレスなのか、今の華やかなプロレスなのかで意見が割れることもあるが、それでもプロレスの場合は「オマエやるな」「オマエもな」という不良が河原で喧嘩したあとのようなわかり合いがある。
ただもう自分に自身が持てなくなってくると100と0で生きるしか無くなるようなんだな、、、これは前から書いてることだけど。

例えば安倍総理に対して、彼が何をやらかそうが100%支持する者。
そして安倍総理が素晴らしい外交をしても100%否定する者、という感じ、これは感じている人が多いだろう。

もちろん政治だけではないよ。
youtuberでも同じこと。
ファンは100%ファン、アンチは100%アンチ。

だから中間の意見というのは全方位から攻撃をされることもある・・・が、そんなのは世の中として社会として成立しない。
100:0で生きていたいなら個だけで生きるべきだと思わないか?

これを考えるといつも敬愛するhideの曲の歌詞が浮かぶ。

「役に立たぬ血統書は腹の足しにもならねぇ、それが君には一番大切でんでん虫でもかまわねぇ」

そう...そのようになってしまうと、自分のポジションというか自分の存在を確認するための必要事項がでんでん虫であろうとそれだけが重要になってしまう。

そのポジションってのは思想。

思想というのは自分自身を支配してしまう存在。

要するに自分というものを感じるために自分を支配する存在を魂に置く、という解釈をこの場合個人的にはしているのだが、支配とはつまり100:0の100になるわけだ。

そこで出てきたコロナウイルスという存在。
話は戻るが安倍総理が緊急事態宣言を出し自粛要請をしたから「自粛反対」という人は相当数いるだろう。
逆にこれがド左翼な総理だった場合には「自粛反対」と叫ぶ人は真逆の人になっているであることは想像に容易い。

二段階右折ならぬ二段階支配とでも言うべきか?
自分を支配する思想を第三者に対して背負ってもらってそこにまた支配されないと自分を感じることすらできなくなっていたら、それはもう人ではないし、まだ地縛霊の方が自己主張をしてくるというものだろう。

ところで、誰も自粛していない状態ならホリエモンは「自粛しないと終わるよ、お前らバカだなぁ」と言うだろうし、小林よしのりは「自制心も持たないバカ共が」と言うだろう。
当然これはビジネス的には大正解なので批判しているわけではないが、、、まぁ、仮にこの数カ月後にその状態になっている(意見が180度変わる)可能性すら感じさせてくれる知識人というのはそれはそれでいいのである。
なぜなら彼らは思想に支配されているのではなく、人間らしさの部分を捨ててビジネス・経済的な部分にエネルギーを振っているだけだから。

意識高い系の人はまず経済・・・というか金を最優先する。
まぁそれは間違いとは思わないし、先程も書いているように「別に老人や体の弱いやつは死んでくれて結構、だから全員で普通の世界活をして経済を回そう」という発想になるのも理解したくないが100%否定するつもりはない。私は100:0の人間ではないので。

ただまぁそこに障害者も含まれてしまうとか、一生懸命年老いた老人を介護している介護職の人や、家族に大切なお爺さんお婆さんがいる人もいるというところにまで想像力が届いていないなとは思うし、最近SNSなどで馬鹿をやらかす人間が多いが原因の1つである想像力の欠除という点では今回のコロナ騒動で相当晒してしまった人が多い。

そもそも、自粛を解除したら経済が回ると思っている時点で相当な物だ。
例えるなら女性が食事に付き合ってくれた時点で「俺に気がある、今夜はやれる」と思ってしまうぐらいの幼稚さを感じる。

自粛否定論者、自粛アンチと言おうか、彼らの主張を簡単にまとめると【自粛を解除する】【普通に働きこれまで通りの経済活動をする】【その中で若者を中心とした健康な人間が無症状のコロナウイルス感染者となり抗体をつける】【その間に死んでいく1%の老人を中心とした人間は寿命だと考える】である。

しかし、一体全体これはどこのどんな世界観での話なのだろうか?

大きな工場などでいえば、そこら中でクラスターが起きるだろう。
無症状の人間だけじゃなく、実際に症状が出る人も沢山おられる。
倒れた人間を積み上げている中で自動車を組み立てるのか?家電を作るのか?
医療従事者はどうやってその患者を助ければいいのか?

老人は死んでもいいという主張に対しても言いたいが、それは「放置する」ってことか?
苦しんでいる自分の両親や祖母祖父を放置しろということなんだな?

じゃないと筋が通らないだろう。
助けようとすれば仕事にはいけないだろうし、精神的にもダメージが当然あるわけで、自分を責める人が続出するだろう。
誰もがあなた方のように「老人は死んでも問題ない」と平然とできるわけではないのだから。

想像力の欠除はまだまだ続きますよ、というかここからが本番。

『我が国、日本は自粛をやめて全員が感染しながら経済活動を行うと決めた!』

って、これどの世界がその日本を容認するんですか?
オリンピックに人が来ますか?万博に人が来ますか?

もしかして日本の経済が日本人の国内産業だけで成立していると思っています?

その状態の日本に来る海外のビジネスマン、アーティスト、アスリート、政治家、、、いないでしょう。

わかりますか、想像力が欠如した上に思想フィルターで見える世界。
人がバタバタと倒れる中で苦しむ老人や障害や若者の一部を放置して葬儀もできずに燃やして捨てていきながら国内産業だけで経済が回っているという世界ですよ。

さらに言えば『なぜか確実に抗体ができる前提』で『変異する可能性を排除』した上で。

どこにあるんだよその世界は。

そもそも、医療関係者の中でもまだ意見が複数あって割れている中ですよ。

これだけ長々と書いても、やれることって手洗いしてうがいして、自分の身も家族の身も仲間の身もできるだけ守れる心構えでいることで、不要不急の外出はとりあえずやめておいて様子を見ようってことが大前提でしょうよ。

どこにあるんだよと書きましたが、そういう世界があるならぜひそういう世界へ同じ思想の人間で行けばいいじゃないですか。

ここからは補足になりますが、経済を捨てろという話ではないですよ。
バランスでしょうという話なんですよ。

100:0の話に全て集約されていますが、50:50とか40:60とかそういう場所を探すのが社会であり今の状況なんじゃないのかと思うわけです。

経済的な意味がない人間は死んでもいいってとんでもない考え方ですよ。

ミニマムなところでいえば「オマエの婆さんはコロナで死んでもいいじゃん」って言われているようなものですからねぇ。

何にしても5月6日の時点で何も終わらないことは当たり前として、決まった以上は5月6日まで不要不急の外出を控えるなどするのが大前提。
これをやり終えてからまた意見を出して人間が本気で命も経済も両方真剣に考えていくってのが筋が通った行動でしょう。

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