「自分を貫く生き方」は立派。
でも、それを「他人を思いやらない」ことを
ごちゃごちゃにして生きてる人は少なくない。
自分を貫くことで、他人の首を切り落とす
そんな卑劣な人間もいる。
そして、そんな凄惨な事態が起こったことで
我々人間は真剣に今後それに向き合い解決することを
考えるべきなのに、その事件を利用して政治活動をする
卑劣な左翼市民団体もいれば、これを利用して「夢の戦争」を
したいと行動する右翼市民団体もいる。
もちろん政治家もこれは「オカズ」として
利用をしていることが目に余る。
何もこれは世界的なことだけじゃない。
「俺は気楽に生きてるから」という
自分の貫き方のせいで、他人に迷惑をかけても
何とも思わない人間もいる。
自分はこういう人間だからと定義をして
そこから出てこない奴もいるし、
出てこないくせに殻の中からでも
他人を傷つける奴もくさるほどいる。
薬にも毒にもなれやしないのに
他人の靴につくガムや埃になることに
生きがいを感じているように見える人間もいる。
「馬鹿野郎、自分を貫きながらでも
他人を思いやる気持ちは持てるんだよ。」
心の中でこれを叫ぶことが本当に近年増えている。
もちろん、自分も大した人間ではないし
人様に説法を垂れれる人間ではないのだが
道で人と向かい合った時に、すれ違う人間なら
半歩ずつ避ければぶつからないものだと
当たり前のように考える事はできる。
それが衝突しなければいけないのであれば
相手の気持ちを考えつつ、発言をするようにするし
それが自分にとって必要な出会いだと感じたら
避けること無く向き合って話すのです。
・・・
そう思っていたのは、多分去年までで、
私自身としては考え方が変わりました。
結局のところ、世界が1つになるためには
何らかの思想1つを全人口で共有しないと
確実に不可能なことなわけですが、
それ自体が不可能なので、1つにはなれないのです。
この先、何千年もこの世界のアチラコチラに
「自分を貫くために他人を傷つける宗教」はあるし
「自分の利益のために望んでもない平和を叫ぶ団体」も
きっと存在していることでしょう。
また「刺激のない毎日と何も自分に自信がない自分のために
自分が生まれた国だけを誇りにして他の国を攻撃することで
何故か自分が愛国者という名の勇者だと思っている人」も
1000年後2000年後にいるはずなのです。
自分勝手で他人を思いやらない人間が
勝手に争いを生むというのが世界の基本であり
そこに対して「本気で分かり合おう」なんてことを
努力することは、誤解を恐れずに書けば「無駄」なんです。
なので、私の中の答えは1つ。
他人を思いやる、他人のことも考えてくれる
友情や愛情を正しい形で共有できる
そういう人間にとは、そういう思いや考えを共有して
居心地良い世界を小さくても作れば良い。
ただ、そうでない人間に対しては
攻撃をされれば防御ではんく攻撃で返せばいいし
もちろんそんな人間とは爪の先ほどのサイズすら
共有する世界を作る必要はない。
これしかないと思ったのです。
自分の人生をいかに使い切るか?楽しめるか?
それにはこれしか無いのです。
1分1秒すら貴重です。
その1分1秒を悪意で使えるような人間とは
戦うか交わらないかしかないと思うのです。
私の人生、長くてあと50年ぐらい。
短ければ5年か10年かしかないかもしれない。
普通であれば3~40年というところです。
ここで、最後に「やり切った!」と思んで死ねるのか
それとも「あれも無駄、あいつも無駄、これも無駄だった」と
後悔とその時間があれば何ができただろう?と
計算をしながら死んでいくのか?は自分の中では
非常に大きな違いだと、怖いぐらいに思うのです。
後2ヶ月で35歳。
独立してから8年も過ぎました。
そして今年動くプロジェクトも沢山あり
また将来の目標もいくつかあります。
でも、自分の中では何度も繰り返しているミスや
後悔というものが常に何個もあります。
仮に、これを40歳まで繰り返したまま
何も変わることがなければ、生きてる価値が無い。
他にいくら自分を好いている人や
感謝してくれる人がいたとしても
同じ失敗を繰り返す人間というのは
欠陥商品だと私は思ってしまうし、
現状の自分は実は見事な欠陥商品だと
自分の中では認識をしているわけです。
その意味では、limitは5年。
いや、3年かも1年かもしれません。
ある種の自分の寿命は余命宣告を
されているものだと思って今を生きています。
だって、納得出来ないことを解決できずに
それを残して騙し騙し生きることに対して
何か面白さって感じますか?
変な話、世の中に対して期待なんてしちゃいません。
これから突然良くなることなんてないんですし
恐らく、他人を思いやらない人間の数なんていうのは
昔から地球上の同じぐらいの割合であるのでしょう。
そんな中で自分がどのように人生を人生として
生きることができるのか?という立り回りをすること。
それに共感ができる人とだけ世界を作ることができれば
それが人生なんじゃないかと思いますからね。