何があっても何かが変わる

つい先程、イスラム国に拘束されていた
2人の日本人の内の1人が、殺害されている画像が
公開され、日本政府も会見を行いました。

画像がリアルなのフェイクなのかはわかりませんが
過去に何度も各国のジャーナリストが殺害されているだけに
その可能性は低くないのではないでしょうか。

よく、暴力では何も変わらないと言う人がいますが
それに関して、私は昔から疑問を感じます。

学生時代で言えば、暴力的な先輩の存在は
他人の何かを変えていましたし、
暴力に屈したことがある人、今現在そういう状況の人も
世界中に数多くいるでしょう。

何より戦争で世界は変わり続けて今があります。

近いところでは911のテロもそうです。
多くの人が死に、そして世界中でも個人レベルでも
多くの影響を与え、何かを変えました。

小さな森から1本の木が無くなるだけでも
その木に住んでいた生命体が移動することになり
生きていけなくなることもあれば、別の木にいた
生命体が殺されることだってあります。

何が起きても何かが変化するわけで
その数えきれない繰り返しが今日の地球を
作ってきているということは間違いないことです。

ただ、変わるから良いというわけではないでしょう。

その手段としての暴力という選択肢は
最も後にあるものであり、緊急時に選ぶものであり
そして暴力から身を守るためにいやいや使うものです。

もちろん私は憲法9条で守れるものなんてのは
無いに等しいと思っていますし、
(世界中の人の全てが憲法9条を約束するケース以外)
家族、仲間、国を守るために行った戦争というものは
立派な選択肢だと思っています。

しかし、まず最初に暴力を選ぶ「変え方」というのは
全くもって理解ができないことです。

ですが、残念ながらその選択肢しか教えられてない
人間というのも世界には存在するのでしょう。

そして、それと自分たち人間は向き合い続けて
解決できないまま死んでいくことの繰り返しです。

音楽で、映画で、言葉で、笑いで、
世界を変えたいと思ってきた人たちも
それが叶ったことはないでしょう。

1つだけできることがあるとすれば
自分が幸せにできる範囲の中の人を
どれだけ思えるか、、、だと僕は思っていました。

でも、実はそれも通用しません。

テロリストは、特にイスラムのテロリストたちは
自分の同志や家族を守るためにと信じて
戦っているという側面もあるからです。

60億人からの人間が共存している地球
という規模で考えれば、もしかすると今現在ぐらいの
戦争や暴力、例えば領土問題などにしても
「少なく済んでるぐらい」なのかもしれないんです。

それが今の人間の現実なのではないでしょうか。

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