久々に書店に行きました。
Amazonの存在により自宅に書店があるようなものになった世の中ですが
書店には沢山の人がいて、その沢山の人よりも沢山の「自己啓発本」「ビジネス書」が目に付きました。
どれも売れているようでね、帯に「30万部達成!」とか書いてありますけど、それを見て僕は思ったのです。
「これこの本の30万部とあの本の30万部、買った奴の20万人ぐらいかぶってるんじゃないか?」と。
というのはね、自己啓発本で言えば書いてある内容なんて同じなんですよ。
意識高い系が書いた「言うと気持ちが良い言葉」を意識高い系が「聞いて気持ちが良い言葉」として受けているだけ。
前向きにポジティブに生きること、人を幸せにすること、挫折を楽しむこと
この手のことが意識高く書いてあるだけで、それを実行することなく次の同じ本を買う人の群れと
一方でそれを実行したらただの意識高い系勘違い野郎になってしまった人の群れと
新興宗教みたいな考え方になってしまって、目がイっちゃってる感じになった人の群れにわかれます。
そもそも、意識が高いというかポジティブに頑張っている人間は黙々と頑張ってますよ。
でね、これなぜか競馬本にも少しこのような傾向が出てきているんです。
どういうことかというと、中身がマインド的な部分が多い。
これは僕はメルマガとかで書いてますが、ギャンブルをガチでやってる人間からすると当たり前のことなんです。
でもそれをそのまま書くと「面倒」「楽したい」というようになるのがギャンブル好きな人たちですから
若干、自己啓発本っぽいような書き方で伝えているものが増えている傾向を感じました。
でもねぇ・・・
自己啓発本って何もかも一緒にしちゃってるところがあるんですよ。
人のため、自分のため、愛、勇気、平和、そういうのを謳いながらも実際には「こうすればいい」という大雑把なマニュアルが書いてあるわけです。
例えば「こういう話し方をすれば伝わる」「それは完結に伝えること」これは多い内容です。
商品のプレゼンをするときに、その商品のエピソードなんていらないと。
これは当社がなになにでなになにだから作ったなになにをするものです。だけの方がいいと。
でもこれって実際のリアル社会で生きてたらわかることですけど・・・微妙ですよ。
結局人は人を買うものだと思いますから、その人が無機質に効率だけを考えて喋っていたら魅力が伝わりませんし
残念ながらもう数年でAI時代が広まっていくわけですから、効率的に機械的に喋ることや文章を書くことなんてのは
AIが全て完璧にこなしてくれるんです。
となると?そう、劣化版AIモドキ人間になるだけなんですよ。
会話の中でも「この人って絶対に語尾に「ちがうか!」ってつけるよね」とか「この人って機嫌が良い時はボク、悪いときは僕って書くよなぁ」とかそういう無駄な部分に個性が出るものだと思います。
伝えたいことだけ伝えるロボットみたいな人、それもまぁ個性と言えるかもしれませんが、個性がないことを個性とするなんて理論は逃げなんじゃないかなと。
飲み仲間、友達、なんでもいいですよ。
どうでもいい話をしたり、伝えたい話だけど脱線したりしながら笑いを取ったり、怒ったりしながら
無駄口であり雑談の部分からその人が見えるものでしょう。
あと、これは書店が悪い!と思うことなんだけど、自己啓発本の周辺には色々なジャンルの専門書を置くべきだよ。
というのは、自分がやろうとしている分野の基本となる知識をつけるための専門書を読まず自己啓発本だけ読む人が多いから。
それだと実力がないのに意識だけ高いという一番面倒な人が誕生してしまうだけだし、そうなると当然社会的に認められない上に人にも好かれない状態になるでしょ。
そうなった場合に、無理やり自己啓発してポジティブになっていたところからの反動で悪の心が芽生えてしまい・・・
そんなケースは少なくないのではないかと思うのです。
ただ、もちろん自己啓発本や自己啓発が悪いことだとは思いません。
まさにその名の通り「自己を高める」ことに使えている人は素晴らしいと思いますし、そういう人が1人でもいるのであれば著者の人の存在意義というのは高いはずですからね。