塩沼亮潤さんの人生生涯小僧のこころを読みました

人生生涯小僧のこころという本を読みました。
これは以前クレイジージャーニーで特集されていた塩沼亮潤さんの本で彼の半生が書かれているものです。

この塩沼亮潤さんという人は僧侶なのですが、私が何に興味を持ったかと言うと
「大峯千日回峰行」というとてつもないことをやり遂げているということなんですね。

この大峯千日回峰行とは、奈良県は大峯山の頂上にある大峯山上本堂までの往復48キロの山道というとんでもない道中を
1000日間、具体的には山開きの5月3日から9月22日までの間を毎日歩くというもので
トータルで約9年間これを繰り返すという行なんです。

途中で辞めることは死を意味しており、その時に切腹して死ぬための短刀を腰にしており
また、もしくは首を吊るための死出紐を持って行に挑むのです。

夜中にスタートし、朝に山頂へ着き食事をしてそれから戻り
翌日の準備を全て自分で行い19時ごろ眠り、23時には起きて準備してまた出発。

この行の間は怪我をしても病気になっても病院に行くことはできず
40度近い熱があっても、何十日も下痢が続いてもこれを続けると。

道中はマムシも出れば熊も出る、高低差が高く山頂は寒くなり
その山頂へ行くには崖もあるという状況の中で、限界を超えて幻覚すら見ながら挑み続けて、そしてやりきった。

そして翌年からは四無行という生きられる可能性が50%という行に入ります。

この四無行とは9日間、飲まず、食わず、寝ず、横にならずという想像もできない行で
徐々に体から死臭がしてくるような状態になり、座っているだけで脈が100になるとのこと。

全く想像もできないですし、自分が経験することもないことですから
のめり込むように本を読んで気がつけば朝になっていました。

この塩沼亮潤さんは「別にこの行をしたから偉いわけではない」と言います。
また世の中の人が皆僧侶になってこんなことをしては社会が成り立たないと。

人生とはそれがすなわち行であると。
そして12年間同じことを続ければ、情熱を持って続ければ必ず1つの悟りを得るという言葉がとても刺さりました。

これは偶然なのですが、私が独立してからこの年末で12年なんです。
日頃から「僕って頭悪いし学歴もないけど、ただ物事に飽きずにずっと同じことができることだけが武器なんだよね」と人に言いますが
飽きずに情熱を持って12年間、やってきてますから、年末ぐらいに、それこそ平成最後の年末か年始ぐらいに何か1つ悟れるといいなぁと。

それが競馬に関する悟りなのか、ビジネス的なことなのか、人生的なことなのかわかりませんけどもね。

ところで、面白いなぁと思う点として千日回峰行をしても四無行をしても、そのこと自体はある意味自己満足ということです。
例えば千日回峰行が成功したら誰かが助かるとかそういうことではありませんからね。

人のためにと言いながらもこの行にトータルで10年以上も使っているその時間は「我」だと思うわけです。

ただこのとてつもないことを行ったからこそ言える言葉があり、その言葉の説得力が増して人に刺さる可能性が上がり
その結果として人生の中で前向きになるポジティブな言葉として残すことができるのではないかと。

そこら辺の薄っぺらいインチキ占い師とかインチキ宗教みたいなのに引っかかる人も多いですけど
そういう程度の人の言葉が刺さってしまう人もその程度だと思うんです。

私は仏教の世界にしても宗教の世界にしても基本的に興味はないですし、そこに頼る必要は現状ではありません。
辛いことがあっても何とか両足で立っていますし、そもそもが自力で戦いたい人なので。

ただ、何か神や仏に少しでも頼るというか、気持ちを変えてもらいたいと思ったときには
またこの塩沼亮潤さんの本を読み直したいなと。

そう思える1冊でした。

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