思い込みの恐怖

競馬というジャンルはまず「競馬」という競技と「馬券」という賭けの対象の2つがあることで成立しています。
騎手は騎乗のプロ、調教師は馬を調教するプロ、競馬ファンは馬券を買う側、その中にはプロ的な存在もいます。

ここに相違というのは出てきますし、プロの意見が必ず正しいとも限らないというのがこの世界の面白いところだったりします。

例えばパドック解説者という職業があります。僕から言わせれば大半の人が「人気の馬を推すだけ」なので馬の見た目を判定しているようには思えないのですが、あの武豊騎手ですら「馬なんて見てもわからないですよ、乗らないと」と言っていますし、その父の武邦彦調教師も「見ただけれはわからない」と言っています。
名騎手、名調教師がわからないと言うことを果たしてパドック解説者がなぜわかるのか?ということになりますよね。

別の例ですが、例えば騎手や調教師が「この馬は調教時計が良いと好走するからね」と発言していても、データ分析のプロが数字で見たら調教時計が良い時に見事に惨敗しかしていないことということもあります。

競馬以外でもこういうことってありませんか?
サッカー選手が「相手にポゼッションで上回られていたので・・・」とコメントしていたとして、実際にはポゼッションで勝ってるのは彼側のチームだったとか、仕事とかでも自分の考えや感覚が実はちゃんと数字で明確にすると全然違うということってあります。

これって単純に「思い込み」なわけですから、実は怖いことですよね。

そしてそれに気が付かないと経験値が高いが経験を消化できていないことになります。
天才肌の人はそれでも構わないと思いますが、通常の人ではこれは致命的なミスを招きかねないです。

経験と感覚、体感したことなどは一度どこかで数値化してその相違が無いようにしないといけないなと思うわけです。

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