頭がバカになるぐらい熱狂するプロレスは戻ってくるのか。熱狂を捨てるとしたら何を対価に得るのか。
熱狂

プロレスを見るようになってから30年。
観戦歴30年となった今でも変わらないのは「プロレスが大好き」であり「レスラーへの憧れ・リスペクト」であり「プロレスは最高に面白い」ということです。

2022年も泣いて笑って驚いて、プロレスは今年も私の人生を楽しくしてくれました。

が・・・

振り返ってみると「大熱狂したこと」はこの数年であっただろうか?

例えばお客様が収拾付かないほどのスタンディングオベーションをしたり、ゴングの音すら聞こえないぐらいの声援が飛んだり、ファン同士が喧嘩になったり、椅子の上に立って転げ落ちる人がいたり・・・いや、ダメなんですよもちろん、マナー違反はね。

ただ、そんなマナーとか頭から吹っ飛んでしまうぐらい、頭がバカになるぐらいプロレスで興奮したことってこの10年でどれぐらいあっただろうかと。

振り返れば90年代には数え切れないほどの熱狂がありました。

G1の優勝決定戦なんてどれもお客様の声で音が割れているぐらいの映像が残っていますし、新日本プロレスvs誠心会館の対抗戦とか、UWFとのあの伝説の対抗戦とか・・・対抗戦とまで行かなくても、蝶野正洋が大仁田厚をパートナーにつれてきて「おい新日本プロレスくそくらえ!藤波!すっこんでろ!」と叫んだだけで試合前から会場は総立ちだったとかね。

あの手の光景ってのは戻るのかな?
いや戻らなくてもいい、あれは古い時代のことだという見方も当然できるでしょう。
ただ...凄い試合が終わりキレイなコメントがあり、決めセリフがありハッピーエンドで終わり拍手に包まるプロレスというのはクラシックのコンサートのようにも感じるのです。

90年代はロックだったような、80年代はパンクだったのかもしれませんがそれが徐々にダンスミュージックになっていき今はクラシックのようなそんな感じもします。

では何がそうさせているのか?と考えると、これは新日本プロレスの話となりますが(私が新日本プロレスっ子なのでね)まず「本隊が強くない」ということが1つ理由としてあるのではないかと。

なぜ反体制派のNWOや平成維震軍が会場を熱くしたかと言えば「大きな組織の中にいる本隊が優遇されることに対して反体制派が牙を剥く」からで、それは自分の日常生活ではできないことだったからではないでしょうか。

自分の日常の悔しさがプロレスで解消できたような気持ちになれるからといいましょうか、なのでなぜ内藤哲也が支持されたかと言えば反体制派として会社にガンガン物を言うからでしたよね。

ただ、徐々に内藤哲也の求心力というが落ちてきているように思えるのは内藤哲也が天下を取ってしまったからであり、内藤哲也が会社に噛みついたところで内藤哲也の方が本隊よりも会社よりも上のような状態になってしまったからではないでしょうか。

次に感情の部分。
プロレスにはリアルもフェイクもあっておもちゃ箱をひっくり返したような世界だと思いますが、その中のリアルな部分として怒りや悔しさやジェラシーが昔ほど見えていないように感じます。

闘魂三銃士がそれぞれに抱いていたジェラシー、上の人間に対しての怒り、第3世代が抱えていた悔しさなど感情のぶつかり合いが昔のほうが濃かったのではないか。

その点でも内藤哲也はオカダカズチカに対してのジェラシー、棚橋弘至に対してのジェラシー、ファンに認められない悔しさや怒りを全てロスインゴに落とし込んで表現しました。だから支持されたのだと思いますが・・・多くの選手が「多くのファンが簡単にコメントを見れる時代となった」ことによって、感情のままではなく「上手く言おう」「印象的なフレーズを使おう」と考えすぎているのかガツッと胸に刺さることが減りました。

次に対抗戦の部分ですが...まず新日本プロレスと並ぶ団体が無い時点で盛り上がらない。
一時期、新日本プロレスと全日本プロレス、新日本プロレスとNOAHが激突した時はファン同士ももちろん熱くなって大きな熱狂を生みましたが、では今年の新日本プロレスとNOAHが熱狂を生んだかは疑問です(面白かったですけどね)。

これも情報が多すぎるからというところもあって、今の新日本プロレスファンからすれば「NOAHさんを助ける感じなんでしょ?」と負けることなんて考えないですし、NOAHファンも「今の立場だと新日本プロレスが美味しいところを持っていいてもしょうがないよね」と冷静だったりするので、中々冷静からの熱狂は生まれないわけですよ。

冷静からの熱狂が生まれるのは予想外・サプライズがあることで生まれますが、そのサプライズ的なことって最近のプロレスにはあまりないじゃないですか。
ずっと同じ景色が続いているというか・・・今現在藤波辰爾さんが中堅なら前髪をどれだけ切るかわかったもんじゃないですよ(笑)

新日本プロレスとUWFは特殊で「本当に強いのはプロレスなのかUなのか」的な部分があったので、あれはもう今現在のプロレス界では無理な方法ですが...それでもあの熱狂を超えてほしいんですよ。

長い試合をやれば、締めの言葉があれば、紙テープが飛べば、熱狂するってもんじゃないんですよね。

なので今の現状って熱狂とはほど遠いわけですよ。
反体制なのか仲良しチームで集まったのかわからないユニットが乱立し、誰かが誰かに怒りやジェラシーを燃やすこともあまり見受けられずですから。

本隊が強いとか会社に不満があるからユニットを作っているわけじゃないという構図ですよね。
要するにユニットというのはコンセプト的なことであって、ただコンセプト別に分かれていると、
コンセプトが見つからない&人数的な問題で本隊に所属するだけのようなね、これでは対立構造は生まれないですし「このシリーズは君と君が敵ね」というテーマに沿っただけの物語ではやはり熱くはなりにくいでしょう。

強いものに対しての気持ちであれば、ユニットなんて関係なくオカダカズチカに対してジェラシーを燃やす選手がユニット内外から出てくるような状況になれば・・・とは思うんですけどね。

なので現時点で新日本プロレスが大熱狂を起こすというのは、オカダカズチカが50周年で区切らずに今後もアントニオ猪木の闘魂を背負って少々無茶しながら「絶対的な存在」になるべきだと思うのです。

それに対して他の選手たちが対オカダカズチカしか考えていない状況にしてほしいですよ。

IWGPに絡めないからあのベルト、とかじゃなくて「大原則として新日本プロレスにいる人間はIWGPを目指していることが前提」ということに戻ればそういう構図も生まれるのではないかと思うのです。

鈴木みのるが「IWGPをこれからも狙っていく」と鈴木軍ラストマッチの時に口にしましたが、あの言葉を新日本プロレスの選手全てが持っていないと熱狂は生まれませんよ。

と、まぁ熱くなりましたが来年の新日本プロレスはそのチャンスがあるのではないかと思うのです。
若い選手の帰国があり、成田と海野が本隊のままなら本隊が強くなります。
特に海野翔太なんて本隊のエースとしてこれからバリバリに売り出されるでしょうから、他の選手のジェラシーも生まれてくるでしょう。
強い本隊が生まれる、そして強いオカダカズチカという存在もいることでわかりやすい形になるのではないかと思いますし、NOAHも最後の武藤敬司ブーストや中邑真輔参戦から新規ファンを多く獲得すれば一気に伸びてくる可能性があるので「次に新日本プロレスとNOAHでやったら読めないぞ」という空気にもなるでしょう。

ただ、これで来年もオカダカズチカ戴冠→ベルト落とす→毎度1シリーズだけのスランプ風→その間はジェイ・オスプレイ・内藤辺りで動く→オカダ復活→無双→2024イッテンヨンへ
みたいな可能性もありますからね(笑)

そしてそういう感じであと2~3年続けば、完全にプロレスというのは熱狂を目指すものではなく目に見えない採点競技のような道を選んでいくのではないかと思うのです。

でもそれは悪いことじゃないんですよ。
それでも私はプロレスが大好きですよ。

ただ、熱狂を捨てた上で何を得るのかというのは明確にしてほしいですよね。
かなり価値のあるものですから。
この対価に何かを得れないとまた暗い時代が来てもおかしくありませんから。


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