膝の手術で人生初の松葉杖となった猛牛天山広吉の復活を祈願

天山広吉選手が膝の手術で欠場との告知がありましたが、人生初の松葉杖を使う状態になっているようです。
僕からすると天山広吉というレスラーが山本広吉としてデビューした時から今までずっと見ている選手ですし、それこそ中邑真輔が若くしてIWGPを手にしたりオカダカズチカのレインメーカーショックと同等かそれ以上の衝撃を与えられた選手ですので思い入れがあります。

新日本プロレスブームとなったこの数年から見ている人は「テンコジの片方」ぐらいの印象でしかないのかもしれませんが・・・そんな人にはモンゴリアンチョップですよ(笑)
僕が中学生の時ですか、天山広吉が帰国してから起こした様々な動きに僕とプロレス好きな友人たちは「天山やべーよ」ばかり言ってましたからね。

残念ながら新日本プロレスワールドに「なんで天山広吉のあの試合がないの!?」状態ですので「この試合を見てほしい!」という紹介ができないのですが・・・

ファンが真似したモンゴリアンチョップと抱え込み式逆エビ固め

ヤングライオン時代の得意技だったが抱え込み式逆エビ固め、これは簡単な上に糞痛いので学校でかけ合いすることが流行しましたが僕と同世代の人は同じ思い出がある人が多いのではないでしょうか。
そして今でも代名詞であるモンゴリアンチョップも真似しましたが、ヤングライオン時代と今ではフォームが全然違います。
ヤングライオン時代のは余計な動きがなく腕を振り上げたら「鼓膜破れるでしょ!」というぐらいの勢いで耳の辺りを狙って叩き込んでいたんですよね。

ヤングライオン時代は線が細かったですが、迫力あるファイトでヤングライオン杯を優勝して海外遠征へと旅立ちましたが、この時代はヤングライオンが揃いも揃っていましたのでめちゃくちゃ面白かったですし、変な客がいたらぶっ飛ばしていたぐらい気の強い選手ばかりでしたね・・・

僕からすると1991~2年からプロレスを見るようになったのでヤングライオン杯を優勝して海外遠征へ行く選手を見たのは山本広吉が最初だったと思いますし「海外遠征!?武者修行!!なにそれ凄い!」って感じでした。あまりにそのワードが現実離れしているというか自分の日常には無い言葉でしたから。

凱旋帰国直後から天山広吉のとてつもない大暴れが始まった

新日本プロレスファンの人ならおなじみの大剛さんの元で修行した天山広吉ですが、帰国した姿を見て「誰これ?」というぐらいに体が大きくなり迫力を増して凱旋をしました。
橋本真也にボコボコにされるもののとてつもないタフネスで立ち上がり続けた天山広吉、IWGPをいきなり取っちゃうのでは?という期待がファンの中に溢れかえっていました。

さて、当時は新日本プロレス本隊&平成維震軍&蝶野・ヒロ斎藤という構図の新日本プロレスでしたが「本隊をビックリさせてやるって!」と越中詩郎率いる平成維震軍が天山広吉を勧誘していたのです。

ちょっと話はそれますが、平成維震軍興行というのも当時はちょこちょこ行っていて名古屋でも開催されたことがあるのです。
僕たちは紫色のTシャツに「平成維震軍」と書いてある今では絶対に着て歩けないシャツを来て会場に行ったのですが、試合開始前に神聖なるリングをバン!バン!と叩くように触っていた兄ちゃんがリングアナウンサーのケロちゃんに瞬殺されていたことを今でも思い出します(笑)
あの当時のケロちゃんはレスラー並に腕が太かったし怖かったんですよね・・・

2月の後楽園大会だったでしょうか。
ワールドプロレスでは「後楽園ホールドキュメント」的な形でシリアスな放送があったと思います。
越中詩郎の「やってやろうって!」「ひっくり返してやろうって!」という誘いへの答えをモンゴリアンチョップで返して拒絶すると平成維震軍の小原道由とのシングル戦となり、僕の記憶では「物凄い角度のサイドバスターを使った」という映像が残っています。

当時はダイビングヘッドバットやマウンテンボムなどを引っさげていたのですが、どう見ても一番痛そうな垂直落下系のサイドバスターが印象的で、そしてその後は角度が緩くなり徐々に使われなくなっていきました(笑)
新日本プロレスあるあるで、新技は初披露の時が一番エグいパターンの割と元祖に近いような気がします。
使わなくなったということが違いますが、武藤敬司のシャイニングウィザードも最初は飯塚の頭を振り抜いて打ち抜きましたし、中邑真輔のボマイェも初期は本間選手が身動き取れなくなるぐらいの打ち方でしたからね。

そしてその夜に事件が起こります。

狼軍団結成 天山広吉が長州力からピンフォール勝ち

蝶野正洋・ヒロ斎藤に天山広吉が合流しユニットを結成。
かの有名な「狼軍団」ですが2019年の今思うと「とんでもねぇ名前だな」と思うわけですが当時は「カッコイイ・・・」と思ってましたねぇ。

この狼軍団が長州力・橋本真也・平田淳嗣と試合をするわけですが数分で天山広吉がダイビングヘッドバットからのフォールで何と長州力から勝利したのです。
この試合は新日本プロレスワールドにあるのでぜひ見ていただきたいのですが、この試合中、そして試合後の殺伐とした殺気のある新日本プロレスは今の新日本プロレスからは無くなったものかもしれません。


そして勝利した瞬間に自分でも驚きというような表情を浮かべる天山広吉。
残念なのがワールドプロレスではどうもカットされているようなのですが、この時に蝶野正洋が「マジかよ」と驚いた表情で固まっているのがめちゃくちゃ印象的で、天山広吉が長州力からフォール勝ちしたということの異常性やサプライズ感の格が上がりました。
今それを思い出すと蝶野正洋ってスゲーなと。

そして試合後にサブゥーが乱入してきてテーブルやら椅子で片っ端から殴り、味方のヒロ斎藤まで殴ろうとしてヒロ斎藤が慌てるというシーンもありましたね(笑)

また、これも新日本プロレスワールドにはないのですが試合後に大乱闘になったあとのバックヤードも長州力がブチ切れて大変なことになっていて、その時の音声を僕はガラケーに録音して人に聴かせるという奇行をしていました・・・

うろ覚えで文字起こしすると、控室に戻った長州力が橋本真也と平田淳嗣にブチ切れまして。

「何がおまえらおまえらこら、おまえらがおまえらがおまえらだろうがコラ!ふざけんじゃないぞコラ!越中だろうが山本(天山)だろうがおまえらだろうがコラ!オレ一人でやってるんじゃないぞコラ!おまえら偉そうなこと言って一つの対処もできないのかコラ!越中だろうが山本だろうがおまえらだろうがコラ!一つぐらい潰して見ろコラ!俺の体一つしかないんだコラ!」

恐らく長州力選手の声と口調で脳内再生余裕だと思いますが、これを言い終わるぐらいに橋本と平田が控室を出ていくところにパイプ椅子をフルスイングで長州力が投げつけてそれがカメラマンの足に当たるという(笑)

そしてバックヤードで橋本と平田と蝶野や天山が大乱闘になるという、この日のワールドプロレスはテープが擦り切れるぐらいまで何度も見ました。

ちなみに僕が長州力のモノマネをする時は、キレてないですよではなくこれです。
※そもそも「キレてないですよ」ではなくて「キレちゃいないよ」が正しい。

猛牛天山広吉の突進が新日本プロレスマットの主役に

それからの天山広吉は更に大暴れしていきました。
蝶野正洋と天山広吉の蝶天タッグは新日本プロレスタッグの中心となり、NWOの結成後からは新日本プロレスファンの大半がNWOファンという状態になり、それはプロレスファン以外にまで影響を及ぼして町中でNWOシャツを来ている人を当たり前に見るようになりました。

そして天山と小島のテンコジタッグの結成があり、大ブームとなりました。
東京ドームで天龍源一郎&越中詩郎と戦ったタイトルマッチでは、場外へのムーンサルトプレス(アタック)を見せて、解説席の蝶野正洋が「バカだよコイツは」と呆れていました(笑)


ヘビー級で場外にトップロープからムーンサルトをするって今でもこんなことする選手は少ないのに、2000年前にこれをやっていたというのがいかに天山広吉がとんでもない選手だったのかわかりますよね。

しかし、大ブームとなっていたNWOの時代が終わっていき新日本プロレスから選手の大量離脱の波が押し寄せてしまい、相方の小島もいなくなってしまいます。

新日本プロレス人気に陰りが見える中でも猛牛は突っ走りました。IWGPも手にし、G1も制覇しました。
印象的なのは当時勢いに乗ってきた新闘魂三銃士(棚橋・中邑・柴田)を3タテしての劇的な優勝を達成します。

が、新日本プロレスの人気は右肩下がりとなり全日本プロレスとの対抗戦などが始まった中で川田に破れてしまいファンから罵声を浴びることもあった天山広吉。

そして最悪の事件が起こります。
全日本プロレスの三冠王者となっていた小島とIWGP王者天山での両団体の威信と象徴であるベルトをかけたダブルタイトルマッチ。
60分1本勝負のこの試合は時間切れ引き分けであるべき試合だったのですが、残り試合時間がもう何秒もない状況で天山が脱水症状を起こしてKO負けをしてしまうのです。

試合後半から明らかに動きのおかしい天山広吉に対して、小島はダウンカウントを取られないように攻撃を繰り返していたのですが流石にピクリとも動けなくなったことで試合にピリオドを打つしかなかったのでしょう。

この試合後、恐らく小島聡も動揺していたことでIWGPのベルトを投げ捨てるという行動を恐らく無意識に取ってしまいました。
これに対して中邑を先頭に新日本プロレスの選手が激怒して小島に襲いかかるという事態にもなりました。

凱旋帰国から勢いのままに進んでいた天山広吉は、この日から脱水牛などと呼ばれるようになり後にベルトを奪還するもののIWGPだけのタイトルマッチだったことと、先述したダブルタイトルマッチがアクシデントであったことはファンもわかっていたので「ベルトを返しただけ」という印象が強く、またすぐにそのベルトを藤田に奪われてしまい天山広吉の勢いがついに止まってしまいます。

しかし、それでも不屈の猛牛はG1の決勝戦まで進み再び小島と対峙することになり、最後はとんでもない刺さり方のTTDで勝利して3度目のG1制覇を達成します。


この直後にセコンドのライガー選手が「おいおいおい」というリアクションで目を背けるぐらいのTTDでした。
※オリジナルTTD

GBH結成と大怪我 GBH追放と大怪我 怪我の連続

この辺りからは最近のファンの人でも飯塚選手の引退に伴って過去の映像が沢山出たのでご存知になっていると思います。
真壁&本間のGBHというイメージが今では強いですが、元々は天山広吉をリーダーとして動いていたユニットです。

新日本プロレスとしてはまだ下降している状況でしたが「ユニット抗争が中心」というスタイルはこの辺りから明確になってきたのではないでしょうか。

まだトンネルの中だった新日本プロレスで天山広吉は奮闘していましたが、ここで後藤洋央紀の牛殺し(後に命名)により頚椎を負傷して長期の欠場に入ってしまい、復帰後はGBHからの追放&飯塚との友情タッグ結成からいきなり裏切りにあい袋叩きにあうなどドン底まで落ちていきます。

そんな中で突如として全日本プロレスの小島が天山を救出しテンコジ復活(私は号泣しました)となり、ここから一気に天山広吉の復活があると期待していたのですが・・・その後も網膜剥離・頚椎・肩の怪我があり手術を重ねて長期の欠場が再び襲ってきてしまいました。

ここからは小島の新日本プロレス復帰という追い風も吹きましたが、時代はすでに棚橋・中邑・真壁が中心となっており、小島は一線で戦っていましたが・・・オカダカズチカの登場、内藤哲也の急浮上や強烈な外敵の登場などがありシングルのトップ戦線には戻ることなく今に至ります。

ただ、こうしてみると10年ぐらいの間は確実に天山広吉は新日本プロレスの中心でした。
怪我さえなければ・・・と言っても仕方がないですが、新日本プロレスのブーム期から低迷期を全力で引っ張っていた功績は計り知れないほど大きいです。

またここ最近はムーンサルトプレスやダイビングヘッドバットも多く見せるようになっていて好調でしたので、今回の怪我は残念でなりませんがまだまだ新日本プロレスのリングを盛り上げる存在でいてほしいですし、SANADA&EVIL タマトンガ&タンガロア そして真壁&矢野も復活とタッグチームが揃ってきているわけですから、テンコジとしてタッグ戦線で大暴れしてほしいです。

何度も怪我との試合に勝ってきた天山広吉選手の復活を願っております!!

・・・手術室に飯塚が来なくてよかった。

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