1993-2018

ドーハの悲劇で泣いたのが私が13歳の時。
そこからジョホールバルの歓喜が1997年。
日本の初ワールドカップはキングカズと北澤が
代表落ちするという波乱から始まった。
あの時の日本代表は3バックで中盤が5枚。
自分たちが弱いことを認識しての戦い方で
カウンター狙いのチームだったはず。
でも中盤5枚とは言え両サイドの名良橋&相馬は
当然下がる時間も多く5バックみたいな形の時間が長かった。
当時は「中田英のレベルが高すぎて周りと合わなかった」と
思って見ていましたが、最近試合の映像なんかを見ていると
どうもそれは違ったのかなと。
ワールドカップという舞台で普段通りの力を出せていた選手が
中田英だけだったんじゃないかなぁと。
結果は全敗だったけど、ゴン中山の歴史的ゴールもあり
その後、中田は海外に移籍するなど世界へのドアを開けたのが
この時のワールドカップのメンバーとアジア予選を戦った人達。

2002年はワールドカップ、日韓共催での大会。
このときは連日お祭り騒ぎで、逆に日本が敗退してから
街の中の人の顔が燃え尽き症候群状態だった。
まぁ後から振り返ると韓国の誤審やラフプレーで
世界中のサッカーレジェンドや名プレイヤーが
激怒していただけという汚名の多い大会だったのかな。
トルシエジャパンとして出場した日本代表は
3バックに中盤5枚、2トップと見た目は前大会と同じ。
初戦ベルギー戦は鈴木・稲本がゴール。
ロシア戦は稲本がまたゴールをして日本中が稲本ファンに。
チュニジア戦は森島と中田英がゴールして決勝T進出。
絶好調の日本代表でしたが、トルコ戦はどういうわけか
「変えるとろくなことがないトルシエ采配」が出てしまい
トップに西澤、三都主と中田英が2枚前線に入る形で
尚且つ調子が良かった稲本を下げた記憶がある。
熱戦にもならずチグハグなまま試合終了だった。

2006年、ドイツワールドカップ。
メンバーで言えば歴代最高、最強でしょう。
今の日本代表より全然良いメンバーです。
しかし、後に色々な選手やマスコミ、そしてジーコ監督が語るように
人間性やチームという部分で言えば酷いものです。
「控えだから」と不貞腐れて、そういう先週が徒党を組む。
ずっとゲームばかりしていて緊張感が無い状態。
試合後のコメントは選手同士の批判に取れるものばかり。
中田英が決起集会をひらき、日の丸にサインを書こうと提案したが
16人分のサインしかなく、書かなかった選手も多数。
考えてみるとチームが苦戦していたり、削られたりしても
ベンチの選手は笑ったりしていたことを覚えてるなぁ。
恐らくサッカーファンがワールドカップ敗退をした瞬間に
嬉しくも悲しくも怒りもなく、無感情になったのは
この大会だけなのではないか。
まぁそれでも渋谷でお祭り騒ぎしていたバカ共もいたはずだが。

2010年、南アフリカワールドカップ。
これは記憶に新しいところがあるが・・・
闘莉王と中澤のセンターバックが素晴らしくて
本田の爆発などもあってBEST16まで進んだ。
最後は皆覚えているだろう駒野のPKミスだったが
あれはあれで思い返すと一番良い大会だったと思う。
大会前はボロボロの状態だった日本代表でしたが
「はっきり言って日本は弱い、下手くそには下手くそなりの戦い方がある」と
ハッキリと意見した闘莉王の言葉と、それに納得した日本代表の選手は
プライドを捨てて、でも誇りを持ち戦っていた印象。
岡田監督の博打も成功して、弱者が強者を食う試合を見せてくれた。
ドイツワールドカップと比較すると、個々の能力なんかよりも
チーム競技はチームでのまとまりや人間性が重要だと勉強させてくれた
日本代表の南アフリカワールドカップだった。

2014年、ブラジルワールドカップ。
1大会毎にダメなところが出る日本代表。
簡単に言えば、基本系の戦略すら熟成できず
サブプランも全く作り上げることができず
完成度の低い手を1つだけ持って挑んだことで
相手チームには全てバレている状態。
そして選手たちは自分たちの謎の自信が
初戦の途中で打ち砕かれてしまい
責任逃れのプレーに終始するという始末。
挙句には試合終盤にはこれまで否定していた
付け焼き刃のパワープレーを敢行するも
パワープレーができる選手がいないというパニック状態。
無論、パワープレーで結果が出ると自分たちが目立たないと、
また自分たちなら崩せると過信していた選手たちが
アジア予選の時にハーフナーを入れてザッケローニが
パワープレーの指示をしてもシカトした選手が多かったところから
「あれ?何かこれドイツのときみたいなチームになってね?」と
サッカーファンは口々に言っていたはず。

2018年はどんなワールドカップになるのだろうか?

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